1999年2月1日月曜日

祭禮船建造  趣意書


祭禮船建造  趣意書

━ 氏子並びに崇敬者の皆様へ ━

皆様御健祥のこととお喜び申し上げます。
本神社は皆様方の熱心なる御後援によりまして、戰災後現在の復興を得ました事を厚く感謝申上げて居ります。

扨このたび浜の奇祭として有名な当神社の「お馬流し神事」が県下神社の行事として初めて無形文化財として、本年一月十四日附神奈川県指定となり廣く天下に知られる機会を得ました事は喜びに耐えません。

然るところ現在使用中の祭船は貮隻共に船齢既に三十年を経て老朽化し、殊に玆二、三年は応急処置を重ねまして暫く祭事を行って参った次第でありますが、何分にも危険を伴ふ状態に立至りましたので氏子総代会は協議の結果、やむなく祭船を新造する以外にないと云うことになりました。

皆様方に於かれては種々御出費の重なる折り、甚だ恐縮で御座いますが、由緒ある祭事の継続出来ます様、又郷土の名物行事保持の爲めご思召して何分のご寄進を賜り度く趣意書を以て懇請申上げる次第で御座います。

尚当神社は今を去る七百六十六年の昔、源頼朝公幕府を鎌倉に開くに方り、鬼門鎮護の創始せられたと伝え、天正十年以来徳川家よりも十二石の朱印社領を寄進せられました。永禄九年旧六月十五日、初めてお馬流しが行はれ、以来本年三百九十二年継続せられて居ります。中古より本地垂跡説による 日天、月天、地天、水天、火天、風天、梵天、毘沙門天、閻魔天、大日財天、帝釈天、羅刹天の佛説十二神を神前に祀り十二天社の称号が長く称せられましたが、明治五年太政官達により神佛分離が行はれ改めて元の大日靈女命(天照皇大神)を主祭神として本牧神社と称しました。更に合祀により、大山津見神、木花咲耶姫、須佐之男命の三柱を相殿に配して現在に至って居ります。
「お馬」とは茅製馬首亀形の齋器で、六体を作り、氏子中の災厄を負わせ、一年の安泰を祈って祭船ににて海上に流し、逃げ帰る時競漕が行はれ、太陽暦になって毎年八月初旬潮時を選んで祭禮日を決めて居ります。

昭和三十三年二月
本牧神社宮司  本牧省三
本牧神社氏子総代一同

氏子総代連名(五十音順)
荒井辯蔵
池田吉二
池田健次
池田勘蔵
石田兵一
岩崎銀蔵
大館高蔵
乙 典三松
金子豊吉
神谷徳蔵
茅野三二
小高真吉
齋藤兼一
佐久間甚之助
佐藤六蔵
柴田惣吉
庄司清夫
杉本松五郎
鈴木傳吉
鈴木藤蔵
関 音三
瀬木嘉一郎
高木   
高橋半蔵
中山  公
羽生田奥三
福谷久兵衛
松浦長次郎
宮下音吉
吉瀬勘一

0 件のコメント:

コメントを投稿